子宮頚管粘液検査

病院と女医さんの人形

2001年の春、新婚生活をスタートさせた私達夫婦は私の親の介護との両立を踏まえ、それでも明るい未来に向けて家族の将来を、希望を持ってスタートさせたばかりでした。
ようやく介護保険が立ち上がり実父の医療福祉に役立てようとケアマネ試験を受けたのも、丁度この頃でした。
翌年末、COPDで闘病中だった父が他界すると、いつまで経っても妊娠しない妻から、一度精液検査をして欲しいと促され、近くの総合病院の婦人科へ。
すると思いもよらず、乏精子症との診断を受ける事になりました。
この時点で原因不明、治療法は無い事も理解出来ましたが、こうなると私達夫婦に残された方法はいわゆる不妊治療の中でもステージが上に位置する顕微授精と言う方法に頼るしか無い事まで判明しました。
近隣に不妊治療を行っている病院が無かったので、ふと母方の実家近くにある総合病院にその文字が有った事を思い出し、妻と相談の上、受診してみる事になりました。
当初、婦人科での治療に関する知識も経験も全く無い状態でしたので、言われるがままの治療を受け続け、気が付くと5年近く経過していたように思います。

この間、インターネットの普及も手伝って、妻も苦悩しながら様々な経験と知識を学んでいたようです。
結局、最初の病院では妊娠するに至るも流産の繰り返しで、この時点でそうした原因に対する医師からの説明も手立ても無いまま、また次の不妊治療のスケジュールを建てると言った事の繰り返しになっていました。
ある日の事、新聞の折り込みチラシで隣接した市で不妊治療を行っている婦人科の先生の講演会が催され、二人で訪れてみる事に致しました。
そしてそのままその病院での治療を受けてみる事を選択したのですが、結果は同じ事に。
妻は流産を繰り返す原因と対処方法が必要である事に気付いて、県外の専門医を受診する事を選びました。
そこでようやく判った事が、私達の住む県では、いわゆる「不育症」に対する治療や概念が医師の間でも確立していなかったと言う事実でした。
今、12年の不妊治療の最後の時を迎えています。
そして隣県の大学病院と不育症治療に力を注ぐ教授との出会いが実を結ぶ事を願いつつ、春に向けて準備をしています。